しっかり毎日引きこもる日々
初めに
わたしは2年間計画で派遣されたJICA青年海外協力隊員(JOCV)です。
2018年10月に派遣され、2020年10月に任期満了する予定です。
先日新型コロナの影響で、帰国しました。
このときの心境などを、書き残しておこうとおもいます。
最初
新型コロナが流行し始めてからしばらくして。
「帰国させられるのでは…?」といううわさが目に入り始めました。
強制帰国通知のタイミングは、国ごとにことなっていました。
わたしが通知を受けたのは、3月の半ばでした。
Yahooニュースなどで報道される直前のことでした。
1,800人近いJOCVの一斉帰国を、JICAが公式に発表しました。
通知から出国までに残された日数も、国ごとにことなっていました。
わたしの場合、任地であるM地域を離れるまでに残された日数は5日でした。
通知から旅発つまでの間、別れの挨拶をして回りました。
唖然とする人、泣く人、さっぱりと送り出してくれた人、さまざまでした。
心境
通知がきたとき、わたしは「またすぐに戻れる」と思っていました。
具体的には、5~7月には戻れるのではないかと思っていました。
正直、今の状況をみてそんな気はしません。
当時の動向を考えてみても、すぐに戻れるわけがなかったでしょう。
しかし、わたしがそう考えてしまったのは理由がありました。
実は、昨年2019年11月にも似たようなことがありました。
この頃、わたしが派遣されていた国の国境付近で、複数人殺害事件が起きました。
対象の州は2019年12月中、外務省が発表する危険地域レベルの引き上げなされました。
危険地域レベルは、JOCVは立ち入ることができない2に設定されました。
派遣当初の2018年10月からわたしはL地域というところで活動をしていました。
L地域と殺害事件現場は、同じ州に位置していました。
任地変更先となったのM地域は、L地域からとても遠い場所でした。
一般的な移動方法の長距離バスをつかって2泊3日、国内線は2本必要の遠さでした。
たったの2年間の中で2度も活動を切り上げなければならないなんて。
本当に、考えたくもありませんでした。
最後に
JICA海外協力隊が、ふたたび派遣再開されるのはいつになるやら分かりません。
わたしの中で理解が甘かったとおもったことがあったので、書き残します。
『日本政府の名のもとに公用旅券を渡されて「安全」を約束されたもとで活動するとはどういうことか』ということです。
「あなたたちJOCVは、わたしたちの国の自然保護動物のようにまもられている」
任地変更先のM地域で親しくなった方に、L地域での話をしたときに言われた言葉です。
「ここの国にきて、一人でも亡くなったら大事になる」
本当にその通りでした。
自分の判断では、移動や立ち去る日程を選択できません。
また、言われる日程は上の判断でころころと変わります。
例えば、L地域からM地域への移動のとき。
最初は移動までに2ヵ月程度の猶予があるという話でした。
本部からJICA職員が直接L地域にやってきて、L地域のボスに状況を説明しました。
しかしその数日後、状況は変わり「年内での移動を」という指示が下りました。
さらにその後「一日でも早く移動を」という指示が下りました。
理由は「本部がそう言っているから」としか伝えられませんでした。
後ろ盾がある安心感がある一方、自分の発言に責任がもてない歯がゆさがありました。
JICAの方針がなにか間違っていたとは思っていません。
本部との仲介をしていた在外事務所の方々の対応は、とても真摯なものでした。
ただ、「安全」が約束されているってこういうことなんだ……という話です。
具体的な話をするならば、外務省の発表する危険地域レベルについて。
そこそこに旅慣れた方ならば、お分かりになるかとおもいます。
危険地域レベル2が、どの程度のレベルなのか。
最もきついと感じたことは「仕事を思っていたより早く切り上げること」でした。
最も苦しいと感じたことは「人間関係を思っていたより早く切り上げること」でした。
そして、理由を説明する際に「ここは安全ではないから」と言葉にしたときの辛さ。
きっと忘れることはないでしょう。
現地の空港を出てからというもの、WatsAppを開く指がとても重い。こんなに遠い距離から、みんなが健康でいるかどうかが不安で仕方ありませんし、心配をかけていることも辛い。早く帰りたい。帰って、やりたかったことをあと一つでも終わらせたい。せめて、日本からむこうの国へ郵便物を送れるようになりますように。スマートフォンを持たない友人たちへ、一緒に撮った写真を送れる日が早くやってきますように。